
1988年の夏に初めてタイを訪れて今年(2003年)の夏で丁度15年になりました。そこで、自分のこれまでのタイとの関わりを整理する意味で思い出しながら書いてみました。自分自身のタイとの交流史でもあり、一人の人間がタイにはまってどう生きてきたか興味あれば読んでください。
15年もタイにハマってると、最初はGOGO BARが面白くて、その次の段階ではGOGO BOYをホテルに連れ込んで、連れ込むのに連れ込み料取られると取らないホテルに関心が行き、どこのホテルがいいかとか、どこのレストランが美味しいかということに興味が行くけど、10年以上も経つと人の判断なんて意味がなくて、結局自分のフィーリングやそのときの払える金額とかに見合ったホテルで、連れ込み料取られたら取られたでいいじゃないかとか、自分の舌がそのときうまいと感じた食事が美味しければいいと思うようになりました。
実際、人が美味しいと言ったレストランは行っても美味しいと感じる こともなく、自分が選んだホテルやレストランに失敗したと思ったら次に利用しなければいいのであって、人の情報を信用しなくなりました。自分の人生だもの、人の情報に振り回されずにわがままに生きましょう。それじゃ、まだまだ僕のタイ人生は続きます。
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初めてタイを訪問したのは1988年の夏、勤務先の同僚4人でプーケット一週間の旅に行きました。実はこの前の年に同じメンバーと台湾にパックツアーで5日間行って、自分にとって初めてパックツアーを利用してみて、これも悪くはないなと思ったのでした。それまではパックツアーって内心馬鹿にしていたんです。旗のうしろでのこのこ歩いていくのが馬鹿馬鹿しかったので。しかしそのパックツアーの印象が良かったので、その後同じメンバーで冬にシンガポールとペナンも行って来ましたが、このときは自分が幹事になってました。なお、パックツアーはその後10回以上も利用しました。職場の人たちと行くときは、その方が楽だからです。それにパックツアーって成田から添乗員が付いていくものだと思ってたのに、現地に着いてから胸に付けたワッペン?(シール?)を目印に、現地添乗員と会って、現地滞在中だけのガイドだったのも、ひつこくなくて良かったのかもしれません。
さて、初めてのタイなのですが、当時159,800円でノースウェスト利用、バンコクはリージェント、プーケットではル・メリディアンを利用しました。この時初めてアメリカの飛行機に乗って、サービスがこんなにもひどいものかと思ってしまいました。だって、乗ってから食事が出るまで2時間も何も出なかったんです。食事のトレーも小さくてしかも1時間以上も出発が遅れて最悪でした。逆にタイに対する印象はそれまで、スケベなおやじが行くところっていうイメージがあったんだけど、料理は辛いけど美味しかったし好感が持てました。初めて日本では天然記念物になってるカブトガニも食べました。味はたいしたことなかったです。多分このように飛行機を除いて初回の印象が色々良かったりしたので、今こうしてタイにはまってるのかもしれません。
自分以外ノンケの男ばかりだったので、もちろんピンクの蛍光灯のある置屋に案内してもらって、二人が買いました。自分は選んだんだけど、先に友人に取られちゃったので、いいやってことに。もう一人もなぜか 買いませんでした。この人今も独身なんです。もしかして?(笑)
当時のプーケットはダウンタウンからパトンビーチまで今と違って舗装されてなくて、ガタガタしてたので子供の頃の童謡「田舎のバスはおんぼろバスだぁ〜」を思い出してしまいました。この時は今はなき、おかまショーの「ティファニー」がパールホテルの中にあって、そこまで見に行きました。それと、今とは全く違って素朴なコーラルアイランドにも行きました。
ル・メリディアン、ちょっと古かったけど、夜がきれいで部屋の扉を出ると眼下の池の上にあるレストランがライトアップされてて一同感激してました。一緒に行った同僚の中で一番若い子は「ここなら女の子連れてきたら、イチコロですよね」って言ってたっけ。逆にバンコクで泊まったリージェントは、丁度改装中でいい印象がなかったです。後でここがオリエンタルに次ぐ格調の高いホテルだと聞いて、びっくりしました。
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それから3年後の1991年、今度は更に人数が増えて6人でパタヤに行きました。パックで183000円。今思えば高かったです。でもまだバブルだったのか、あまり気にしてなかったかも。キャリアはTG午前便利用で、ホテルは行き帰りの1泊ずつのバンコクがノボテル(サイアムスクエア)、パタヤがモンティエンでした。 職場の同僚たちと行くパックツアーもこの頃には慣れてしまって、前回のプーケットからその後、バリ、セブ、コタキナバル&クアラルンプールと経験していました。まぁ、行くこと回数を重ねることが楽しかった時期だと思います。それでこの時乗ったタイ航空が、タラップから機内に乗ったときにしてくれるワイから始まるサービスが良くて、食事も良かった印象が残ってます。
もちろん、この時他の人と同じように自分も含めて全員プロの女性を買いました(笑)どうしてノンケが集まると、こうもやりたがるんでしょうね。バンコクでも初めて「金魚鉢」とよばれるソープランドも見てきました。今はなき「クレオパトラ」という店でした。でもパタヤで買ったので女はもう充分、お腹が痛いと言って皆が決めた後一人で帰ってきました。(実際おなかが痛かった)そのとき、出口からスクンビットの通りに出るまでのソイでひつこくタクシーが追いかけてきて、ひき殺されるかと思うくらい追いかけられて危険な目に遭いました。
ホテルについては、ノボテルはエレベーターが僕が日本で見たこともない最新型だったし、きれいだったけど、モンティエンは古かった。でも全室オーシャンビューなのは良かったです。今でもパタヤの旅行パンフ見ると、このホテルのところ、「オーシャンビュー指定」なんて書いてあるのを見るけど、何言ってるの?ここは全室オーシャンビューだぞってね。それから連れ込んだときに500バーツだったか取られた記憶があります。でも初めて乗ったタイ航空、そのキャッチフレーズ「Smooth as silk」の通り全く揺れなかったので、ほんとに信用してしまいました。
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その翌年1992年の夏、今度は同じメンバーでサムイに行きました。殆どHISを利用してたのですが、この頃になると、パンフレットに載ってないような旅を交渉して作り始めました。パンフレットに載ってるパックをいじって、エアラインをインド航空に変えて、それなら8日間コースになるのでそうして153,000円と安くしました。実はこの年の始めだったか前年だったか、サムイでバンコク航空が墜ちて乗ってた日本人も亡くなってたのです。バンコク航空の飛行機が小さなプロペラ機らしいと聞いていたので、ちょっと心配でした。
この時はバンコクが往復1泊ずつマンダリン、サムイがチャウエン・リージェントでした。マンダリンは最悪でした。部屋に窓があるけど塀があって何も見えず、朝食用のレストランも窓がなくて白と金と鏡の内装にちょっとうんざりしてました。サムイのチャウエン・リージェントは、場所も良くて部屋はどれもコテージ式。リゾート気分満喫できました。夜はレストランで民族舞踊のショーもやってたし、欧米人の夫婦が夜になると服を夜会服のような真っ白なカクテルドレスを着て食事に来るので、Tシャツ、短パン、ビーサン姿の中に混じってる自分は考えさせられました。それ以降、僕も夜は品よくスラックスに襟のあるポロシャツが最低の基準にしてます。ただし、そのドレスを着た婦人、その格好でお祭りというか縁日を見て回ってたのには、ちょっと心配してました。スコールの後で足下はぬかってたし、舗装もされてない道だったので。でも、男ばかり6人は、寂しいものがありました。欧米人は皆、夫婦かファミリーでしたから。
前述のように、タイで初めてお祭りというか縁日を見ました。一番面白かったのが、ドラム缶の上のブランコみたいなのに、女の子が一人ずつ座ってて、ボールを標的に投げて当たると、そのブランコが割れて女の子が下のドラム缶に落ちて水浸しになるゲームでした。今考えるとちょっと悪趣味かな。
この頃になるとホテル選びも事前に、いいところを見つける勘ができてきました。サムイには当時一番良いホテルがインペリアルホテルで、もっとはずれのところにあるのですが、夜に遊べるダウンタウンのそばじゃないと不便なのを知ってました。でもこの頃のサムイにもまだGOGO BARはありませんでした。それから、当時日本の旅行会社が経営してた日本食レストランもあって、そこに毎晩のように行ってました。最後の日にはそこの板前が豪華な伊勢エビをふんだんに出してくれたり、また釣りに連れてってくれたりしてくれました。でも2年後に訪れたときには、経営者が外人になって板前もいなくなってすっかりさびれてました。この島ではレンタカー借りて島を一周したり、天気も良かったのでいい思い出です。当時のサムイには目立った店と言えば、ダンキンドーナツしかなかったです。空港にあった遊園地のおさるの電車みたいなバス、空港で売ってたハンバーガー、Bangkok Airwaysの機内食が美味しかったのを覚えてます。でもサムイの海はきれいじゃなかった。
最後の一夜はバンコクで皆と離れて時間を作って初めて男の子のGOGO BARに行ってきました。場所はタニヤのスリウォン側から数軒目の2階にあった「WHY NOT」今はもうありませんが小さなBARでした。なぜ知ったかというと、その頃「薔薇族」でバンコク特集をやっていて、それを見てへぇ〜バンコクって面白そうだなって思ってたので、場所をメモしておいたのです。他にもソイ4とか、「スーパーレック」なんかも載ってたような気がするけど、一番わかりやすかったのがこの店でした。
入って座ってると色んなボーイが来て、14才位の可愛い子とも話したけど「友達と一緒の部屋だから」と言ってオフできませんでした。その頃はまだスリウォンホテルのようなところで、休憩でHできるなんて知恵がありませんでした。でもなぜかそこのボーイから「ちんこ大きくなってる、見せて」と言われてズボンのジッパー下ろして握らせたことを覚えてる(爆)出るとき全部で500B位払ったけど、他のボーイが出口で、あの子にチップあげてと言われてチップあげたのを覚えてます。で、その子が立ったら身長が155cm位だったので、タイ人って背が低いのかなって思ってしまった。
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4回目のタイは1992年の10月、2週間休んでイタリア行くついでに寄りました。一人旅は13年ぶりだけど、タイに一人で行くのは初めてでした。TGでローマまで152,000円、パタヤに2泊位のストップオーバーでした。この時パタヤでは、泊まるホテルを余り知らないので以前泊まったことのあるモンティエンでした。 この時初めてGO GO BOYを買ってます。今はないBOYS TOWNのつきあたりの、やたらとうるさいパブみたいな店でした。17才位の可愛い子でしたけど(爆)時効よん。でもHはしないで裸で一緒に寝ただけ。汁そばを食べてきたところなのか、口がやたらとパクチーと唐辛子くさかったけど、嫌だとは思わなかった。これがタイ人の匂いかなぁって思ってました。次の日は違う店で今度は大人っぽい子をオフしました。でもそのころはタイ語も知らなかったし、向こうも英語ほとんどできなかったのでつまらなかったと思う。
その後パタヤを後にして、ローマ、トリエステ、ヴェネツィア、ミラノ、ボローニャ、アンコナと旅してきました。ローマ・トリエステ間で初めてアリタリアの国内線乗りました。期待していたのにたいしたことなくてがっかりしました。
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5回目は翌年の2月、勤務先の取引先業者の人で友人になったSさんを連れて、HISのパッケージツアーでバンコクパタヤ6日間の旅でした。132,000円でした。バンコクではマンダリン、パタヤではアジアホテル・パタヤでした。ホテルはどこも満足できなかったけど、オプショナルツアーで日帰りのサメット島に行って、白人たちと共にエンジョイしてきました。食事もなかなか美味しかったです。もちろん他にもパタヤツアー定番の昼はラン島ツアー、夜はアルカザールのおかまショーを見て、晩ご飯はナンヌアルのシーフードを食べたりしました。通俗的なパタヤツアーでした。でもラン島もサメット島の海もきれいだったです。
一緒に行った初めて海外に出たSさんを一人部屋に残して、僕は当時パタヤのソイ2にあったアダム&イブに行って、「Bコースマッサージ」というのをやってきました。これは日本のソープランドのThai Boyバージョンでした。泡踊りもやってくれたのでびっくりしました。でも、自分が選んだかっこ可愛い子がチェンライ出身だと聞いて、チェンライってきっとこんな可愛い子が一杯いるんだろうなと、この時から浅はかな期待を持ってしまいました。それにこの頃ですタイのボーイとコミュニケーションできたら何て素晴らしいんだろうと思ってタイ語を習い始めました。
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6回目の旅はその年(1993年)の夏、男4人、女2人の6人のグループでバンコク、プーケット、ピピ島の旅に出ました。AIとTGで8日間コースで126000円。泊まったホテルはバンコクがノボテル、 プーケットがダイアモンドクリフリゾート、メインのピピ島はピピコーラルリゾートでした。ノボテルは当時の僕のお気に入りのホテル、ピピ島のホテルも島で一番のコテージというかバンガロー式の良いホテルでした。しかしプーケットのダイアモンドクリフは食事がまずくて、ちっとも食欲が出ませんでした。屋台の方がよほどうまい。しかし、ここ日本人ばかりで部屋には泊まった記念にTシャツプレゼントとか、ちょっとゴテゴテプレゼントがあったりして、そんなことよりもっと基本(食事)ができてないとダメだと思ったりしてました。
更に殆ど毎日が雨だったので、せっかくの旅行なのに、いいイメージがありません。でもピピ島のホテルのそばの食堂に毎日のように行ってそこの従業員と仲良くなったり、一緒に行った女の子のうちの一人が美人だったので、向こうの男からナンパされて、それを残りの5人が見守ってたとか、楽しい思い出もありました。
プーケットではSIMONと言う新しくできたおかまショーを見たり、グループから抜け出してGOGO BOY BARにも行ってきました。
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今度は翌年(1994年)の2月に一人でチェンマイに行って来ました。TG利用でチェンマイではダイヤモンドリバーサイドに3泊、バンコクではマンハッタンに4泊のところ、バスルームにゴキブリがいたので2泊でチェックアウトしてサパンクワイのエリザベスホテルに移動しました。お気に入りのシャツを部屋のクローゼットに忘れて来ました。
チェンマイでは「コーヒーボーイ」というBARに行き、そこの子と翌日チェンマイ唯一の名所、ドイステープ寺院や山岳民族の村に行ったりしました。その子から気に入られたのか、結婚しようなんて言われて困ったことも。帰国後よくある話で母親が病気になったから3000バーツ送ってくれと手紙が来たけど、無視しました。でもチェンマイ、その名所を見たら後は山の中の街なので海と違ってすることがなくてつまらなくなってしまいました。
バンコクに戻って、サパンクワイの店を初めて開拓し、ある店でボーイを買って翌日アユタヤを案内してもらいました。でもバンコクのスーパーレックでチョンブリ出身の山口百恵を男にしたような子を二度買って、ちょっとこの子にはまってしまいました。ちなみに当時のスーパーレックはボーイがふんどしを穿いていました。
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1994年5月、何とかうまく4連休を作ってバンコクだけ行って来ました。泊まったホテルはバンコク人なら誰でも知ってるような、それでいて日本人にも発音しやすいナライホテルにしました。かつての高級ホテルです。前回スーパーレックで見つけたお気に入りの子(百恵君)と再会目的です。実は彼、もうスーパーレックを辞めていて、習い始めた僕のつたないタイ語で書いた店に出した手紙の返事には、店の人に読まれてるし、恐いから店にはもう出さないで!代わりに僕の住所に送って!というので、そっちに手紙送りました。
その後、手紙の返事で部屋にいたらガラスが落ちてきて肩を切ってしまったというので、意味がよく分からず半信半疑だったのですが、この時久しぶりに逢って部屋に呼んで見たら、やはりかなり大きな傷ができてました。部屋に居てケガするというのが、どうもわからなかったけど、その説明を理解できる言語をお互い持ち合わせてません。彼が辞めたのはケガをしたからもうボーイはできないのでしょうか?でも今となっては彼がまじめだったのを痛感してます。呼んでもいないのに、部屋に勝手に来るとかやたらねだるとか、よくある話のようなことは一切しなかったから。僕が君の話し方は上品だと言ったら、変な顔しました。そりゃ上品だったらボーイなんかやってないか。なぜか僕には彼の話し方が上品に聞こえたのでした。
昼間は動物園とウィメンマーク宮殿(雲の宮殿)を見にタクシーをチャーターしました。途中お昼の国歌が流れて歩いてる人も全員立ち止まって黙祷(?)するように言われました。映画館で映画が始まるときと同じです。運転手にタイの王室のことを聞いてみました。王様が死んだら跡継ぎはどうなっちゃうんだろう?娘の方が人気あって息子つまり皇太子の評判が悪いのを聞いていたので、一般の人がと言うか彼がどう思ってるのか知りたかったからです。そしたら、その運転手が小声で周囲を気にしながら「皇太子は嫌いだ、人を殺したことがあるらしい」と言うのです。こういう噂はすぐ広まるので、きっと殆どの庶民がそう思ってるのかもしれません。(こんなこと書いたら不敬罪かしら?)
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気の合う仲間たち4人で、サムイに一週間行きました。1994年の夏のことです。この時はJAL利用で何と103,800円のパックが出てたので、それを利用しました。泊まったホテルはバンコクがインペリアル・クイーンズパーク、サムイがボートハウスサムイでした。ボートハウスは、古い船を利用したコテージがあるのですが、それはスイートなのか、高かったので普通のホテル形式ので泊まりました。場所もダウンタウンというか、観光客の集まるチャウエンビーチのはずれでした。
2年前に泊まったホテルのそばの日本食レストランはすでに書いたようにすっかりさびれていたけど、名もないレストランで食べた食事がやけに旨かったのを覚えてます。ここでもレンタカー借りて島を一周したけど、海はあまりきれいではありませんでした。早く起きたらパンガン島かその近くの島の方がきれいなので、そっちに行こうとしたけど、寝坊して行けませんでした。しかし、島を一周してるときに買って食べたバナナを焼いたのを食べて以来、下痢が止まらずこれはそれ以降半年も続きました。つらかったです。
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その年の11月に今度は一人旅でバンコク、パタヤです。UA利用で52000円。バンコクは前回泊まって面白かったエリザベスホテル、パタヤは当時ゲイガイドに出ていたマーメイドビーチリゾート。 百恵君のいたスーパーレックに行けば、24番の札を違う子がつけていました。でもそのルーイ出身の子をオフし、次の日にパタヤに連れて行きました。12時にホテルのロビーに来ると言うことで待っていても来ない。50分も遅れてやってきました。タイ語の先生から聞いていたけど、タイ人の時間感覚をこの時初めて経験しました。パタヤでチェックインするときに、ボーイの名前を記入しないのになぜか疑問でしたが、彼とまったり過ごしました。
パタヤから帰ったら、彼が5000Bくれと言うのです。3000Bに負けさせ、ATMでお金を下ろしましたが、ちょっとすごまれました。そして彼が店のそばのバンコク銀行の裏に住んでいたので、そこまで荷物を持って行き、彼の家の近くの床屋に荷物を預かってもらい、路上で宴会。ビールを買うからと言って100Bあげたら、酒だ酒だと喜びながらビール瓶を10本くらい買ってそばにいる人たちに振る舞いました。そこら辺は彼の故郷ルーイの人たちがまとまって住んでるそうです。そこにある屋台でイサーン風の汁そばを食べたものの、中に入ってる牛の血で固めたこんにゃくのようなものは食べられないし、すごまれた思い出にあまりいい気分ではなく早めに空港に向かいました。
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1995年の1月、友人と6日間クラビに行ってきました。TGのプーケット行き、だけどバンコクで同じ番号の便に乗り換えの便です。エアオンで106,000円でした。プーケットでエアポートバスに乗ったら我々のホテルが一番最後になって到着が深夜11時を過ぎてました。泊まったホテルがGOGO BARに近いバーンスコータイ。 ちょっと古いのに高かったです。そこに1泊。次はバスでクラビに向かいました。この時のプーケットはすっかり賑やかになり、初めて行った時の面影なんてこれっぽちもありません。空港からダウンタウンへ行く道も舗装されプーケットタウンを通らずにパトンビーチまで行けるようになりました。
翌日、バスでクラビに出発、途中から桂林みたいに変わった景色が右側に見えてきました。クラビに到着して、バスターミナルで食事、隣のテーブルで食べてたおっさんのパッタイがやけに旨そうだった。そのバスターミナルのそばにインフォメーションがあったので聞いたらやたらとホテルを勧める。こっちは日本でホテル予約してるからそこへの行き方を知りたいだけ。結局市内に出るソンテウが来たので、それに乗ったけどあのインフォメーションの兄ちゃんは何だったんだろうと話してた。今となっては有料インフォメーションだとすぐ分かるけど、そのときはなぜか鈍感だった。市内に着いて、違うソンテウに乗り換えて予約しておいた「クラビリゾート」に到着。
そのホテルはコテージタイプでちょっと古かったけど、敷地は広く部屋も満足できた。翌日オプショナルツアーで宣伝によく使われる島に行ったら、外人のTバック姿の男女を見たけど、海に入ると珊瑚がボキボキ折れるので歩きにくいし、環境破壊をしてるような罪悪感で、浜辺で焼いてるだけで帰りの船を待つだけだった。島には白人に引率された小学生たちが島のゴミを拾いに来てた。
次の日ピピ島に行ったら、前回から1年半だというのに、よく行った食堂がきれいになってて、店の女の子もすっかりあか抜けてたので、友人がまた二年後に来たらもっと変わってるかもと言う。それで前回一緒に撮った写真をあげたら、あのとき居たタイ人は一人を除いて皆故郷に帰ったという。中にはナコンサワンから働きに来てた子もいた。結局、当時居た店の子たちが出稼ぎのバイトだったということを知る。
またバスでプーケットに帰り、空港からバンコクへ。エリザベスホテルに泊まって、翌日帰国しました。
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1995年の6月、チェンマイからスタートしチェンライ、パタヤ、ナコンパトム、バンコクを一週間旅してきました。チェンマイで入国、やはりイミグレが空いてて待たなくていいのが気持ちいい。二度目のチェンマイは市内見物も興味なく翌日に日帰りでチェンライに行きました。パタヤのアダム&イブで見つけたカッコ可愛い子がチェンライ出身だったので、きっとそのような子がいっぱい居るのかなと、ちょっと思ったりして。途中の道路が渋滞になったのには驚いたけど、何もない街だった。
チェンマイからバンコクに行くとき、空港でまた2時間くらいの出発の遅れ、空港の中冷房がきつくて寒くてしょうがない。これでチェンマイからのバンコク便、遅れるのも二度目。もしかしていつもこんなのかしらん。バンコクに着いてからモーチットのバスターミナルに行き、バスでパタヤに。この時はデイナイトホテルに宿泊。でも中国人の団体客ばかりでベッドもツイン。ここはもう泊まらないと思った。
その後、バンコクに戻って今度はサパンクワイのミドホテルに宿泊。飛び込みで行ったら予約してますか?なんて言う。でもここ泊まったらタイ人のビジネスマン向きの感じ。しかし部屋にはタオルがバスタオルしかない。連れ込みに関しても何も言われないけど、古いし暗い感じだった。1000Bで手頃な値段だけど、ここももう泊まらない。
翌日は列車で世界最大の仏舎利塔のあるナコンパトムまで遠足気分で出発。実はタイの鉄道に乗ったのはこの時が初めて。期待してたんだけど、暑い。時期が雨期で悪かったのも原因だけど、うだるような蒸し暑さ、でも途中気持ちよく寝てしまいました。着いたら駅前から塔のあるストリートは両側に竹ご飯の店。食べたいけど、お腹当たりそうなのでがまん。塔自体はたいしたことなかったけど、その周りの公園でまどろむ。背中に毛が抜けた病気のネコが多かったのを覚えてる。
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1996年4月、パタヤに行くのもちょっと飽きて変化をつけたい。そんな意味でパタヤ滞在中に日帰り小旅行って感じでシーチャン島にも行った春のパタヤ旅行でした。実はパタヤの海も汚くてこの島はパタヤよりバンコク寄りだけど、ちょっと期待してました。バスでシーラーチャーで降り、そこから船で20B払ってシーチャン島へ。お坊さんたちが修行に行く島らしいけど、もちろんそこで生活してる人もかなりいて、到着したらやたらとでかい改造したバイクタクシーというか、バイクサムロー?のうるさい呼び込みを振り切って一番高そうなお寺に上りました。途中は花が咲き乱れ周りにはタイ人のあこがれのスイスのような家々。
でもそこに行ったら後は海に行きたいと思っても、海は遠そうだけど歩いてもどの位歩けば海に行けるのか分からない。困ってたらそこへ例のバイクサムロー。 彼が島を500Bで案内すると言うけど断って100Bで海まで往復を頼んで、着いたら午後4時に迎えに来るように頼んでおきました。
海はきれいじゃなかったけど、中国人の観光客がクルーザーで来て、数人泳いでた程度、木陰で全部脱いでみようと思って見回したら、遠くの木陰でおじさんがボーッと座ってる。ありゃっ!あきらめてここで自分もボーッと過ごしました。帰る前になってタイ人のカップルが来た程度。ここで迎えに来なかったら自分どうしよう、なんてちょっと思ったり。
迎えに来て桟橋まで送ってもらい、なぜかこんな島にもスーパーがあるので、そこで水を買ってシーラーチャーまで。しかしこのシーラーチャーからパタヤに帰るのが大変だった。いつもは最初から乗ってるけど、途中からの乗り方を知らないし、いくらするんだか判らない。鈍行バスは目の前に行ってしまったし、急行バス?が通り過ぎて行って、しばらく来なくなってしまった。周囲は夕方からどんどん暗くなってしまって、ちょっと心細くなってしまった。やっとパタヤ行きのバスが来たので手を挙げて乗って出るとき適当に20バーツ払って何とかパタヤのバスターミナルに到着。
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同じ年の6月、今度もバンコク&パタヤ。今回はバンコクではあの有名なアンバサダーホテル、パタヤではVCパタヤホテルです。アンバサダーは連れ込みOKなものの、古くて暗い感じがしました。朝食は離れた別館で。便利だけどわさわさして落ち着かないホテルでした。パタヤではサウスパタヤに君臨するホテル、VC。 ここは同じホテルの中に女のマッサージパーラーがあるから連れ込みOKだと思って飛び込みで入りました。 でもGOGO BARでオフするときにママさんからどこ泊まってるの?と聞かれてVCだと言ったら、あそこは一度、IDチェック言われたことがある、なんて言ってた。ここ、結構アラブ系の人が多かったです。
さて今回のエクスカージョンは軍港サタヒープに行ってきました。到着したら水兵さん達がいっぱい。 海と大きなお寺。右も左も判らない場所なので、とりあえずきれいなお寺を見ました。お坊さん達が皆昼寝をしてました。それからトゥクトゥク拾って、どこかきれいな海がないか?と聞いたら連れてってもらったところが、軍営のハートナムラムというビーチ。なかなかきれいなビーチでした。おおきな岩の向こう側はもう軍隊の敷地。兵士がハンモックで昼寝してました。目の前の島には引き潮で渡れる距離。数百メートル離れたところでは、学生たちが文化祭か何かの踊りの練習をしてました。ここは僕にとっての隠れ家的ビーチ、とにかくきれいでのどかなビーチでした。
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また同じ年の11月、今度もバンコク&パタヤと行きまくってます。今回はUAのマイレージが2万マイル貯まったので、アワードで行ってきました。今回はバンコクではサパンクワイのプラディパットホテル。飛び込みで聞いたら680バーツ。部屋に案内してくれたおやじが女買えとうるさい。僕がゲイだと言ったら、それじゃ男を連れてくると言われて思わず返事に困った。しかし、変なのを連れてきても困るので断った。
パタヤではVCの後ろにあるNEW PARADISE INN。ここはゲイのガイドにも出ていたけど、入ったらとても汚かったけど我慢した。たまにはこんなホテルで泊まるのも学生時代の旅みたいで。。。380バーツでした。 今回はやはりサタヒープ近くのバーンセアというビーチ。その名の村で降りて、村のソイを歩いたら海に出ました。そしたら砂浜には出しっぱなしの壊れたビーチチェアが沢山、海はゴミがひどくてとても泳ぐような場所ではなかったです。なんか、さんざんどんちゃん騒ぎして遊んだ後の群衆が逃げたような感じでした。つまらないのでがっかりして帰ってきましたが、海よりもむしろひなびた村のたたずまいに抒情を感じました。